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川嶋あいの生い立ちが壮絶!生後半年で天涯孤独・養父母とも死別の過去

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『天使の歌声』で聞く人を癒やしてきたシンガーソングライターの川嶋あいさん。

川嶋あいさんは、父親が失踪・生後半年で母親が亡くなり、施設に預けられました。

その後、養父母のもとに引き取られますが、10代の頃には養父母とも死別しました。

本記事は、川嶋あいさんの壮絶な生い立ちや下積み時代についてまとめています。

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川嶋あいプロフィール

名前:川嶋あい(かわしま・あい)

生年月日:1986年2月21日

出身:福岡県

職業:シンガーソングライター

所属:ダブルウィング(つばさエンターテイメントグループ)

川嶋あいさんは、福岡県出身のシンガーソングライターです。

歌手になることを目指して2002年(16歳)から路上ライブを始め、2003年(17歳)には『I WiSH』のボーカルとしてデビューしました。

『I WiSH』のデビュー曲「明日への扉」は、人気番組『あいのり』の主題歌として大ヒットします。

川嶋あいさんは、『I WiSH』のデビュー後も路上ライブを続け、2005年には1000回の路上ライブを達成し『路上の天使』とも呼ばれています。

2006年にリリースした曲「旅立ちの日に」は、オリコンチャート1位となり、学校の卒業式で歌われる名曲となりました。

2008年には、川嶋あいさんはニューヨークに語学留学しました。その後はニューヨークでも数々の公演を成功させています。

川嶋あいの生い立ちが壮絶!生後半年で天涯孤独に

川嶋あいさんは、福岡県生まれ。

実父は生まれる前から所在不明で、病弱だった実の母親は川嶋あいさんの生後半年後に病院で亡くなりました。

そのため、川嶋あいさんは3歳で児童養護施設に入り、養子として川嶋家に引き取られたといいます。

養父は川嶋博文さん、養母は川嶋のり子さん、と言われており、養父は建設業の社長をしていたと言われています。

養父母は川嶋あいさんをあたたかく育ててくれたそうです。

幼少期に人見知りだった川嶋あいさんが歌手を目指すようになったのは『母にホメられるのがうれしかった』から。

・泣き虫で人見知りをする私の性格を改善させようと思った母に連れて行かれた音楽教室で、3歳の時から演歌を歌っていたんです。

・あいかわらず人見知りが激しかったので、振り付けは完璧にできるのに全然歌えなくて、1曲のうちの最後の1フレーズだけ頑張って声を出すという状態。

・それでも母が『よくやったね』とホメてくれることがすごくうれしくて。

・母の期待に応えたいという気持ちがどんどん強くなっていき、小学校の低学年の頃から『私は歌手になる』という道を自分で選んで歩いて行こうと決めていました

引用:https://shingakunet.com/journal/column/20170327181862/

川嶋あいさんは中学生になる頃には、数々のコンクールでグランプリを受賞するようになり、地元では有名になりました。

川嶋あいの生い立ちが壮絶!養父と死別し生活が一変

しかし、歌手を夢見る川嶋あいさんに悲劇が起こります。川嶋あいさんが10歳のころ養父が肝臓がんで亡くなりました。

養父が亡くなっり、生活は一変。養母とふたりで一軒家から小さなアパートへ移り住んだといいます。その後、生活のために母親が働くようになりました。

川嶋あいさんは、1999年(13歳)の中学2年生のときには演歌歌手としてデビューしますが、ことのきも全く売れず苦難が続きます。

川嶋あいさんは、高校生になるときには歌手になるため単身上京し、堀越高等学校の芸能コースへ入学。

最初は大手事務所のお世話になったものの、川嶋あいさんはなかなか売れず、1年も経たないうちに事務所から「もうバックアップできない」と見放されてしまいました。

・高校の友達はおしゃれでかわいくて『自分は何でこんな田舎者なんだろう』って劣等感があったし、歌う場所がなくて孤独感と挫折感がいっぱいで、毎日泣き続けていました。

引用:https://shingakunet.com/journal/column/20170327181862/

歌える場所がないと嘆く日々だったそうです。

川嶋あいの生い立ちが壮絶!路上ライブを始めた直後に養母の訃報が届く

川嶋あいさんは『路上ライブを1000回やってダメならあきらめよう』と高校1年生が終わろうとする2月に単独で路上ライブを始めました。

しかし、路上ライブを始めた直後、養母も亡くなってしまうという不幸に見舞われます。

「(訃報を)電話で聞いたのですが、本当に衝撃的でした。あの瞬間は。なんで…という思いで」

引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/30/kiji/K20161130013824590.html

大手事務所にも見放され、歌手になることを誰よりも応援してくれた養母とも死別。

2度目の天涯孤独を味わう川嶋あいさん…壮絶すぎる生い立ちです。

しかし、そんな川嶋あいさんを支えたのは、路上ライブ時代に知り合った仲間たちだったといいます。

・路上ライブを始めて1カ月後くらいに大学のビジネスサークルに所属しているという3人の男性から『手伝いたい』と声をかけられました。

・私のデビューのために事務所を立ち上げてくれた人たちです。

引用:https://shingakunet.com/journal/column/20170327181862/

川嶋あいさんの所属する事務所は『つばさプラス』。代表取締役は福原慶匡さんです。

福原慶匡さんは、2017年の『渡辺直美の女子高生オーディション』という企画で取材に応じ、当時の様子を次のように語っていました。

「いきなり家族がいないっていう状況になって、頼れる大人も僕らしかいなくなった。そこからは、公私共に歩んできた感じです」

「初めはラジカセでライブをしていて、それだとパッと見、変な人じゃないですか。看板を作ったり、弾き語りにしてみたり、僕らも色々な工夫をしました」

引用:https://times.abema.tv/posts/2608748

川嶋あいさんの熱意に動かされ集った仲間たち。川嶋あいさんは、2003年8月に、渋谷公会堂で前代未聞のワンマンライブを成功させました。

川嶋あい『路上ライブが私の原点』・現在はNGO支援団体も設立

デビュー後、『I WiSH』の解散、ソロ活動開始を経て現在に至る川嶋あいさん。

川嶋あいさんは2005年から6年間路上ライブを中断していましたが、東北大震災があった2011年3月11日の直後に再び路上ライブを再開しました。

取材では6年ぶりに路上ライブを再会した理由を次のように語っています。

―路上ライブは6年ぶりとのことです。再びやろうと思ったのはなぜですか。

連日の報道をただ見ているだけの自分に無力さを感じていた頃、直感的にひらめきました。路上ライブは私の原点なので、当時もらったたくさんの愛や励ましを今度は私が返すことができたらと思いました。

引用:https://www.jiji.com/jc/v4?id=kawashimaai_int&p=kawashimaai_int_0530-2

さらに、川嶋あいさんは、『途上国の子供達の為にできることをしていこう』という趣旨で、スタッフらと国際協力NGO ALW(エーエルダブリュー)を立ち上げています。

川嶋あいさんの活動は、たくさんの共感を呼んでいます。

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