シンガーソングライターの川嶋あいさん。天使の歌声は心に染みわたりますね。
そんな川嶋あいさんの「生い立ちが壮絶過ぎる」と話題になっているようです。
実は、川嶋あいさんの父親は失踪・生後半年で母親が亡くなり、施設に預けられました。
その後、養父母のもとに引き取られますが、10代の頃には養父母とも死別したそうです。
今日ここでは、川嶋あいさんの壮絶な生い立ちや下積み時代についてまとめています。
Contents
川嶋あいプロフィール
まずは川嶋あいさんのプロフィールをご覧ください。
- 名前:川嶋あい(かわしま あい)
- 本名:川嶋愛(かわしま あい)
- 生年月日:1986年2月21日
- 年齢:38歳(2025年1月時点)
- 出身:福岡県
- 職業:シンガーソングライター
- 所属:つばさエンターテイメントグループ
川嶋あいさんは、福岡県出身のシンガーソングライターです。
歌手になることを目指して2002年(16歳)から路上ライブを始め、2003年(17歳)には『I WiSH』のボーカルとしてデビューしました。
I WiSHのデビュー曲となる「明日への扉」は、人気番組『あいのり』の主題歌として大ヒットします。
川嶋あいさんは、『I WiSH』のデビュー後も路上ライブを続け、2005年には1000回の路上ライブを達成し路上の天使とも呼ばれています。
2006年にリリースした曲「旅立ちの日に」は、オリコンチャート1位となり、学校の卒業式で歌われる名曲となりました。
2008年には、川嶋あいさんはニューヨークに語学留学しました。その後はニューヨークでも数々の公演を成功させています。
川嶋あいの生い立ちが壮絶!生後半年で天涯孤独に
川嶋あいさんは、福岡県生まれ。
実父は生まれる前から”所在不明”で、病弱だった実の母親は川嶋あいさんの生後半年後に病院で亡くなりました。
そのため、川嶋あいさんは3歳で児童養護施設に入り、養子として『川嶋家』に引き取られたといいます。
養父の名前は川嶋博文さん、養母は川嶋のり子さん、と言われており、養父は建設業の社長をしていたと言われています。
養父母は川嶋あいさんをあたたかく育ててくれたそうです。
幼少期に人見知りだった川嶋あいさんが歌手を目指すようになったのは『母にホメられるのがうれしかった』から。
- 泣き虫で人見知りをする私の性格を改善させようと思った母に連れて行かれた音楽教室で、3歳の時から演歌を歌っていたんです。
- あいかわらず人見知りが激しかったので、振り付けは完璧にできるのに全然歌えなくて、1曲のうちの最後の1フレーズだけ頑張って声を出すという状態。
- それでも母が『よくやったね』とホメてくれることがすごくうれしくて。
- 母の期待に応えたいという気持ちがどんどん強くなっていき、小学校の低学年の頃から『私は歌手になる』という道を自分で選んで歩いて行こうと決めていました
引用:https://shingakunet.com/journal/column/20170327181862/
川嶋あいさんは中学生になる頃には、数々のコンクールでグランプリを受賞するようになり、地元では有名になりました。
川嶋あいの生い立ちが壮絶!養父と死別し生活が一変
しかし、歌手を夢見る川嶋あいさんに悲劇が起こります。
川嶋あいさんが10歳のころ、養父が肝臓がんで亡くなりました。
養父が亡くなったことで、川嶋あいさんの生活は一変。
養母とふたりで一軒家から小さなアパートへ移り住み、母親は生活のために働くようになりました。
実は、川嶋あいさんは1999年(13歳)の中学2年生のとき、演歌歌手としてデビューしています。
こちらは、デビュー曲『十六恋ごころ』のジャケット写真。
史上最年少(13歳)演歌作曲家と売り出すも、全く売れずに苦難したそうです。
中学卒業後、歌手になるため単身上京した川嶋あいさんは、堀越高等学校の芸能コースへ進学。
最初は大手事務所のお世話になったものの、川嶋あいさんはなかなか売れず、1年も経たないうちに事務所から「もうバックアップできない」と見放されてしまいました。
高校の友達はおしゃれでかわいくて『自分は何でこんな田舎者なんだろう』って劣等感があったし、歌う場所がなくて孤独感と挫折感がいっぱいで、毎日泣き続けていました。
引用:https://shingakunet.com/journal/column/20170327181862/
当時の川嶋あいさんは、歌える場所がないと嘆く日々だったそうです。
川嶋あいの生い立ちが壮絶!路上ライブを始めた直後に養母の訃報が届く
歌える場所を探していた川嶋あいさんが、路上ライブに出会ったのは高校1年生の頃でした。
単独ではじめた路上ライブ。川嶋さんは『路上ライブを1000回やってダメならあきらめよう』と考えていたそうです。
そんな中、更なる悲劇に見舞われます。路上ライブを始めた直後、養母も亡くなってしまったのです。
「(訃報を)電話で聞いたのですが、本当に衝撃的でした。あの瞬間は。なんで…という思いで」
引用:https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/30/kiji/K20161130013824590.html
大手事務所にも見放され、歌手になることを誰よりも応援してくれた養母とも死別。
2度目の天涯孤独を味わう川嶋あいさん…。あまりにも壮絶すぎる生い立ちです。
そんな川嶋あいさんを支えたのは、路上ライブ時代に知り合った仲間たちだったといいます。
路上ライブを始めて1カ月後くらいに、大学のビジネスサークルに所属しているという3人の男性から『手伝いたい』と声をかけられました。
私のデビューのために事務所を立ち上げてくれた人たちです。
引用:https://shingakunet.com/journal/column/20170327181862/
川嶋あいさんの所属する事務所はつばさプラス。代表取締役は福原慶匡さんです。
福原慶匡さんは、2017年の『渡辺直美の女子高生オーディション』という企画で取材に応じ、当時の様子を次のように語っていました。
「いきなり家族がいないっていう状況になって、頼れる大人も僕らしかいなくなった。そこからは、公私共に歩んできた感じです」
「初めはラジカセでライブをしていて、それだとパッと見、変な人じゃないですか。看板を作ったり、弾き語りにしてみたり、僕らも色々な工夫をしました」
引用:https://times.abema.tv/posts/2608748
川嶋あいさんの熱意に動かされ集った仲間たち。
川嶋あいさんは、2003年8月に渋谷公会堂で前代未聞のワンマンライブを成功させました。
川嶋あい『路上ライブが私の原点』・現在はNGO支援団体も設立
デビュー後『I WiSH』の解散、ソロ活動開始を経て現在に至る川嶋あいさん。2005年から6年間路上ライブを中断していたのですが…。
東北大震災があった2011年3月11日の直後に、再び路上ライブを再開しました。
取材では、6年ぶりに路上ライブを再会した理由を次のように語っています。
―路上ライブは6年ぶりとのことです。再びやろうと思ったのはなぜですか。
連日の報道をただ見ているだけの自分に無力さを感じていた頃、直感的にひらめきました。路上ライブは私の原点なので、当時もらったたくさんの愛や励ましを今度は私が返すことができたらと思いました。
引用:https://www.jiji.com/jc/v4?id=kawashimaai_int&p=kawashimaai_int_0530-2
さらに、川嶋あいさんは、『途上国の子供達の為にできることをしていこう』という趣旨で、スタッフらと国際協力NGO ALW(エーエルダブリュー)を立ち上げています。
川嶋あいさんの活動は、たくさんの共感を呼んでいます。
亡くなった養父母も川嶋あいさんの活動を応援しているのではないでしょうか。