長く全日本テコンドー協会の会長だった金原昇さんは、2019年12月に会長を退任することが決まりました。
金原昇さんといえば、なんと過去に撃たれたこともある異色の経歴の持ち主です。
金原昇さんの経歴について一般離れしていて普通じゃないですし、功績もあるのですが不明・不可解な点が報じられて、ちょっと気になりますよね。
金原昇元会長の経歴について、これまでに報道されている内容を分かりやすくまとめました。
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テコンドー金原昇 元会長の闇が深い!
金原昇のプロフィール
名前:金原昇
出身:長野県松本市
生年月日:1954年生まれ
職業:全日本テコンドー協会会長(2019年9月時点)
金原昇さんは、全日本テコンドー協会の元会長。
金原会長は、自身はテコンドーの経験はなく、過去に空手をやっていました。
テコンドーの経験はないものの1990年代に何故かテコンドーの会長に就任。
会長就任後はずっとテコンドー選手の成績が振るわず、2016年にいったん会長を辞任しますが再び数ヶ月で会長に再任され復帰しています。
金原さんといえば独特な髪型も話題ですが、どんな経歴なのでしょうか。メディアで紹介されている内容を整理します。
金原昇 元会長の出身地と家族について
金原会長は1954年生まれ。長野県松本市の出身です。
中学時代は野球、高校時代は柔道をしていたそう。社会人になってから空手団体に選手として所属していた時期もありますが、テコンドーの経験はゼロです。
一部の週刊誌では在日一家とも報じられていますが、国籍がどこなのかは明らかではありません。父親が土木作業員で母親は幼少期に他界していたそう。
「在日一家の昇さんは、お父さんが土木作業員をやっていて、お母さんは彼が小学生の頃に亡くなっている。貧しい家庭で育ちました」(引用:デイリー新潮2019年10月3日号より)
ネットでは韓国人との噂もありますが、韓国の方々への安易な誹謗中傷は良くないと思います。改めますが金原会長の国籍は不明です。
家は貧しく若い頃に東京へ上京して喫茶店のボーイなどの仕事をしていたこともあるそう。
「高校時代は番長をやっていて、上京して喫茶店のボーイなどをやった。そこで、いろいろな人たちと知り合い、金融業のノウハウを覚えたんです」(引用:デイリー新潮2019年10月3日号より)
ただ、その後は東京から松本に戻り自ら事業を手掛けます。
金原昇はフィリピンパブ・韓国クラブを経営・金融業も
東京で喫茶店のボーイをしているあいだにいろいろな処世術を学び、金融のノウハウを覚えた後、松本市に戻って手広く事業をはじめました。その事業とは
- フィリピンパブ
- 韓国クラブ
- 金融業
金融業とは高利貸しだったとの証言もあります。
「金融業と言いますが、まあね、ズバリ高利貸しですよ」(引用:デイリー新潮2019年10月3日号より)
・・ちょっと闇が深そうです。
松本市に戻った金原氏は金融業の他に、フィリピンパブや韓国クラブなどの水商売を手広く行う、地元では有名な「マキシムグループ」の代表の座に収まる。(引用:デイリー新潮2019年10月3日号より)
マキシムグループと検索しても、香港系の最大手外食企業しか出てこないのですが、地元の松本で調べてみると「センチュリーマキシム」というフィリピンパブを見つけました。
金原会長との関連は明言できませんが、松本にマキシムという名前の水商売のお店は確かにあるようです。
金原昇はフィリピンパブでヤクザに撃たれた過去も
週刊誌の報道によると、金原会長はその昔ヤクザに撃たれたという過去もあるそうです。
「30年くらい前かな。現場はフィリピンパブの前でした。当時、ヤクザにみかじめ料を払うのはやめようという動きがあって、昇さんもそれに同意した。一方で、高利貸しとしてヤクザと接点がないわけないから、ヤクザからすれば、『何なんだこの野郎』ってことになって狙われたわけです。弾は腕を貫通して命に別状はなかったと聞いています」(引用:デイリー新潮2019年10月3日号より)
ヤクザに撃たれたなんてごく普通の一般人ではありえないこと。
やっぱり闇が深そうです・・
金原会長がやっていたという金融業(高利貸し)では、返済ができない人とのトラブルも起きていたそうで、一部の週刊誌では、金原会長から脅迫されたことを訴える裁判も起きていたと報じられています。
金原昇がテコンドー経験無しで協会理事長に就任
金原会長はその後、1990年代に長野テコンドー協会の理事長に就任しました。
テコンドーの選手でもなかったのに地元のテコンドー協会のトップに就任したと聞くと違和感しか感じませんが・・
週刊誌の記事によると、かなりグレーな就任ルートだったとの噂もあります。
「昇さんは、中学時代は野球で、高校時代は柔道。松本に帰ってきて、空手の団体には入ったけど、テコンドーなんてやったことがないはず。カネの力と口八丁で、テコンドーの世界で会長の座を掴んだんだと思いますよ」(引用:デイリー新潮2019年10月3日号より)
「金原氏は元々、長野県の空手団体に属しており、テコンドーの経験はほぼない。〇五年に内紛で分裂していたテコンドー界を一本化し、現在の協会を立ち上げる際、初代会長に就いた衛藤征士郎衆院議員にいつの間にか近づいた。その後、専務理事、会長へと昇格しました」(引用:デイリー新潮2019年10月3日号より)
こればっかりは真相は分かりませんし、憶測に過ぎないと思いますが、これまでの経歴が世間離れしすぎているので怪しまれても仕方ないと思います。
金原昇のテコンドー協会での功績
金原会長のテコンドー協会での経歴をまとめると次のようになります。
1990年代 | 長野テコンドー協会 理事長就任 |
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2005年 | 全日本テコンドー協会 常務理事就任 |
2008年 | 全日本テコンドー協会 会長 兼 北京五輪強化委員長 就任 |
2016年 | 全日本テコンドー協会 会長 退任 |
2017年 | 全日本テコンドー協会 会長 再任 |
金原会長の功績は、2007年。
それまで分裂していたテコンドー団体をひとつにまとめ上げ、2005年に今の全日本テコンドー協会(統一組織)をつくり、2007年にJOC正加盟を成し遂げました。
バラバラだった組織の統一とJOC正加盟を推し進めた功績は大きく、今のテコンドー選手のオリンピック出場の道を切り開いたとも言えます。
追記:2019年12月26日に開かれた全日本テコンドー協会の総会で、金原昇さんは正式に会長職を退任しました。
金原昇のテコンドー協会での闇が深い理由は?
金原元会長の功績はたしかに大きいと思います。
しかし、協会設立後のテコンドー選手の成績は振るわずメダルは取れない時期が続きます。
国庫補助金の個人管理・返還問題
さらに、国庫補助金を金原会長が個人で管理しているという問題も取り沙汰されJOCから3千万円の返還を求められたこともありました。
当時について元選手の証言も週刊文春が取り上げています。
「選手に支払われるはずの補助金も金原会長が管理していたと思います。合宿などの際、お金を受け取ったとする領収書をみんな訳も分からず書かされていた」(引用:週刊文春2019年10月3日号)
金原会長の功績は大きいですが、お金が絡むと闇が深そうです・・
会長をいったん退任したのに1年で再び復帰
金原会長は、2016年には理事会の決定で会長職を退任させられてしまうのですが、その後2017年に再任され再び会長職に就いています。
2017年の会長の再任に賛成した理事たちが誰も理由をはっきりと伝えてくれていない、という発言も寄せられています。
2019年10月8日放送の情報番組『スッキリ』に現理事たちが出演して発言していました。
そのときの映像がこちらです。
なんか闇が深そう・・#金原昇 #金原会長 pic.twitter.com/E3O7X2I15f
— ema (@ema111wings) October 8, 2019
まさかお金で買収されたんじゃないかと番組でも疑われていますね。
追記:上記の『スッキリ』の番組放送後、2019年10月某日に開かれた非公開の理事会で、スッキリに出演した理事たちと金原昇さんのやり取りを録音した音声データが流失し再び話題となりました。
まとめ
金原昇さんの経歴出身について報道されている内容を分かりやすくまとめました。
功績は大きいとはいえ、お金が絡むと闇が深そうな印象が拭えません。
徹底した説明を行ってほしいですし、何より選手が気持ちよくプレーできる環境を整えてほしいですね!
追記:2019年12月4日、金原昇さんは全日本テコンドー協会の会長を退任することが決まったと報じられました。
金原昇さんは「これからは一会員となり、すべてに関してお茶くみからやらせていただく所存です」とコメントしており、今後も一会員として協会を支える意向を表明しています。
追記:2019年12月26日に開かれた全日本テコンドー協会の総会で、金原昇さんは正式に会長職を退任しました。