野村克也さんの嫁はサッチーこと沙知代さんですが
実は野村克也さんは一度離婚しており、前妻(前夫人)との間に子供もいました。
今回は、野村克也さんの前夫人とその子供について取り上げます。
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野村克也の前夫人と子供の画像!名前は正子と陽一
野村克也の前妻と子供の写真
こちらが、野村克也さん、前妻、前妻との子供、の3人で映った写真です。
1960年 結婚
1961年 長男誕生
野村克也さんは1960年に結婚、翌年の1961年に長男が生まれました。
翌年には子宝にも恵まれ、端からみると順風満帆のように感じてしまいます。
野村克也の前妻と子供の名前
野村克也さんの前妻と子供の名前も分かっています。
前妻の名前:正子(まさこ)
子供の名前:陽一(よういち)
前妻・正子さんは、南海電鉄の社長令嬢だったそうです。
南海電鉄は、実に130年以上の歴史を誇る大手私鉄で、大阪の難波と和歌山・関西国際空港・高野山などを結ぶ鉄道を経営する会社です。
初めて恵まれた子供は男の子で陽一と名付けられました。
野村克也が社長令嬢の美人妻と離婚した理由は?
野村克也の結婚生活
野村克也さんが結婚した翌年の1961年以降の野球成績は凄まじいです。
・6年連続で打点王のタイトル獲得(1962~1967)
・8年連続でホームラン王のタイトル獲得(1961~1968)
・戦後初の三冠王(打率・打点・ホームラン)を獲得(1965)
1965年には『三冠王』を達成!
つまり打率・打点・ホームランのタイトルを同時に達成するという快挙を成し遂げました。
平成で『三冠王』を達成したのは、松中信彦さんだけ。
イチロー、松井秀喜、城島健司、福留孝介などの名選手でさえ『三冠王』には縁がありませんでした。
そのことを思うと、野村克也さんの活躍がいかに凄いことかが分かると思います。
そんな絶頂期の野村克也さんを支えたのは、紛れもなく前妻の正子さんです。
正子さんの評判はとても良く
『自分は一歩引いて、旦那さんを立てるタイプの人』
と言われていたそうです。
しかし、絶頂期を過ぎた1968年ころから夫婦に亀裂が入りました。
野村克也の別居開始・沙知代と出会う
理想の夫婦と思われそうな二人でしたが、1968年ころから別居を開始。
野村克也さんは別居中の1970年に、後に二人目の奥さんとなる沙知代さんと出会いました。
野村克也さんと沙知代さんが出会ったのは東京都内にある中華料理店。
当時、野村克也さんは沙知代さんのことを『明るい女性だな』と好意的に思ったそうです。
沙知代さんとの出会いから3年ほど経った1973年、次男の克則さんが誕生しました。
野村克也の離婚成立は10年後
野村克也さんの次男が生まれたのは1973年です。
しかし、このとき野村克也さんと前妻・正子さんとの間に離婚は成立していません。
離婚が成立していなかった理由は、正子さんが離婚する気がなかったから。
野村克也さんは気持ちが離れてはいたものの、正子さんはそうではなかった…ということかもしれません。
克則さんが誕生して以降も、正子さんは離婚を拒んでいたそうで、離婚が成立したのは1978年、別居して実に10年後のことでした。
野村克也の離婚理由
当初野村克也さんが前妻と離婚した理由は、
野村克也さんの浮気が原因ではないか
というのが大半の世間の声でした。
しかし、沙知代さんと出会ったのは前妻との別居開始後であるため、『別居』に至った理由は別にあると考えるのが自然です。
実際、野村克也さんは後にテレビ番組で、離婚理由が自身の浮気にあるということを否定しています。
さらに前夫人との離婚についてこのように答えてました。
「前夫人が浮気をしたからで、自分が前妻を捨てたのではない。事実は逆」
野村克也さんの発言に、野村克也さんを長年知る人は大きな衝撃を受けました。
今となっては真相は闇の中ですが、すくなくとも夫婦のすれ違いの中に、男女関係のトラブルがあったといえるでしょう。