今回は沢尻エリカさんの生い立ちについて取り上げます。
沢尻エリカさんは幼少期に父親が失踪しており、また兄も交通事故で失うという衝撃の生い立ちでした。
沢尻エリカさんの生い立ちや、事務所解雇とその後の復帰にまつわる闇について迫ってみたいと思います。
Contents
沢尻エリカのプロフィールと家族まとめ!父・母・兄2人の5人家族。
沢尻エリカさんは日本人の父親とフランス人の母親のあいだに生まれたハーフです。
名前:沢尻エリカ
本名:澤尻エリカ
生年月日:1986年4月8日
出身:東京都
沢尻エリカさんは、父・母・兄2人の5人家族で、本名の姓は『澤尻』です。
父親:澤尻義勝
母親:澤尻リラ
長男:澤尻剣士
次男:(不詳)
長女:澤尻エリカ
沢尻エリカさんは5人家族の末っ子(娘)として生まれました。
『エリカ』の名前の由来は、「ツツジ科のエリカ」にちなんでつけられたと言われています。
沢尻エリカの生い立ちが壮絶!父親失踪・兄が死亡。
沢尻エリカさんは6歳とのきに少女漫画「りぼん」の懸賞ページのモデルとなり芸能界をデビューしました。
「自分の好きなところも嫌いなところも天然パーマ」と話しており、自分のコンプレックスも赤裸々に話してしまう子供だったようです。
この頃すでに将来の夢は「歌手」になることと語っているので、芸能界で生きていきたいという思いが幼少期から強かったことが伺えます。
小学校から中学校までファッション雑誌『ニコラ』でモデルを務めるなど、順調に芸能界でキャリアを積んでいました。
小学校時代に父親が失踪
沢尻エリカさんの父親・澤尻義勝さんは、16頭もの競走馬を所有する馬主だったそうで裕福な家庭を築いていました。
サラリーマン家庭ではなく、何か事業を行っている経営者だったのでしょう。
沢尻エリカさんは幼少期から、乗馬やダンス、ピアノなど、金持ち令嬢らしい何の不自由もない生活を送っていたようです。
しかし、小学3年生(9歳)のころに、突然、父親が失踪し行方がわからなくなりました。
ちょうどバブルが崩壊した後だったので、『事業の失敗』か『借金の保証人』になって首が回らなくなったのではないか・・と言われていますが真相は不明です。
稼ぎ頭がいなくなり家族が窮地に陥ったのも想像に難くありません。
中学時代に父親がガンで死亡
家族は途方に暮れますが、沢尻エリカさんは芸能活動を継続。家計を助けるため・・というのもあったかもしれませんね。
父親はその後、沢尻エリカさんが中学3年生(15歳)のときに突然戻ってきたのですが、なんと同年にガンで亡くなっています。
自分の死期を悟って家族のもとに戻ってきたのでしょうか・・
家族を放り出して行方をくらませた父親の死を、沢尻エリカさんがどう受け止めたのか・・複雑な心境だったのではないでしょうか。
高校時代に兄が死亡・荒れまくる
沢尻エリカさんは日出女子学園高校(現・日出高校)に進学しました。
このころの沢尻エリカさんは写真からは想像もできないくらい荒ていたそう。
・トイレの便器を壊す
・学校で花火を打ち上げる
・気に入らないやつは仲間とバイクで囲む
可愛らしい高校時代の写真からは想像もできませんが、裏では相当に荒れていたようです。
日出高校は、芸能人御用達の『芸能コース』もある有名高校です。この時期、沢尻エリカさんは、1つ上の先輩である松田翔太さんと交際していたそうで
喧嘩して揉めたら彼氏の松田翔太軍団が出てくる
とも言われていたようです。
実は、沢尻エリカさんは高校1年(16歳)生のときにさらなる苦難に襲われていました。なんと兄(次男)を交通事故で失ったのです。
この事実は、2005年(21歳)に出演したドラマ『1リットルの涙』の記者会見で明らかになりました。
というのも、このドラマの記者会見で
記者:1リットルの涙を流した経験はありますか?
という質問をされたときに
沢尻:私が高校1年生のときに、兄が交通事故でなくなった。その時は、こんなに涙が出るんだっていうくらい泣きました
と沢尻エリカさんが語ったからです。
沢尻エリカさんは、仕事では弱気、プライベートでは強気のパリピ、と言われます。
父親に見捨てられたトラウマや兄の死という壮絶な体験が続いて精神不安定になり荒れてしまったのかもしれません。
沢尻エリカさんの態度の悪さは、2007年(21歳)の記者会見『別に』発言が有名です。
沢尻エリカの薬物使用と事務所解雇騒動
沢尻エリカさんは2009年には所属事務所のスターダストを解雇されました。
解雇のの理由は、薬物を使用していたことが判明し事務所の重要な規約違反に抵触したためと言われています。
2012年には週刊文春が『大麻パーティ』に参加する沢尻エリカさんの写真をスクープして話題になりました。
フェスやクラブで薬物を使っていたのも、ハイになることで現実を見ることから逃れたいという心の弱さがあったのかもしれません。
沢尻エリカさんは、2010年公開予定だった映画『SPACESHIP ヤマト』のヒロイン役を降板させられ、芸能生命の危機に立たされました。
沢尻エリカの元旦那・高城剛の手助けも虚しく・・
沢尻エリカさんの元夫である高城剛さんは、沢尻エリカさんの薬物依存を治療しようと尽力していたそうです。
沢尻エリカさんを代替治療施設に通わせていたとも告白しています。
・彼女の”中毒”は、2008年に一度は完治したはずでした
・治療が上手くいき、彼女は立ち直ったように見えました
・だからこそ、僕は安心してエリカと結婚したのです
(引用:週刊文春 2012年6月7日号)
しかし、沢尻エリカさんは、高城剛さんのもとから突然姿を消し音信不通になってしまいました。そして、その後公式HPで一方的な「離婚表明」が出されました。
高城剛さんにとって「離婚表明」は寝耳に水だったそうです。
沢尻エリカさんの、この行動の裏には実は深い闇があったと言われています。
沢尻エリカは薬物使用の弱みを握られていた
芸能生命の危機にあった沢尻エリカさんを拾ったのはエイベックスだったと言われています。
高城剛さんの告発によれば、沢尻エリカさんはエイベックス社長に薬物使用の弱みを握られていたそう。
弱みを握られたエリカは、 『エイベックスに行くしかない』と話していました
(引用:週刊文春 2012年6月7日号)
エイベックスから沢尻エリカさんは『高城と離婚することがエイベックスとの契約の条件』とも提示されていたのだとか。
結果的に、沢尻エリカさんは、高城剛さんの前から姿を消し音信不通となり、その後TBSドラマ『悪女について』で再び芸能界に返り咲きました。
沢尻エリカ『色々あったから脱ぐしかない』
沢尻エリカさんは2012年には大胆な濡れ場シーンのある映画「ヘルタースケルター」で主演に挑みました。
沢尻エリカさんの迫真の演技に多くの人が息を飲んだことでしょう。映画「ヘルタースケルター」で、沢尻エリカさんは2013年の日本アカデミー主演女優賞に輝きました。
映画「ヘルタースケルター」は、過去の薬物騒動を払拭して芸能界で再び花開くために、覚悟を決めて挑んだ映画だったのかもしれません。
『へルタースケルター』のこともエリカは、こう言っていました。『色々あったから、脱ぐしかない』と。
(引用:週刊文春 2012年6月7日号)
アカデミー賞の受賞で正統派女優の道を歩み始めたと世間では受け止められていましたが、その背景には相当深い闇があったのですね。
https://sky-journal.com/sawajirierika-helterskelter/2647/